【岡本哲志先生と歩く掘割跡】①馬喰横山~三越前

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農業環境関連の社会人向けの生涯学習を企画運営している「田舎の学校」が、春と秋に主催している東京の街歩き講座に参加してきました。講師は都市形成史の研究者である岡本哲志先生。

銀座・日本橋・八丁堀・・・などなど、約50年前までは水路や掘割に囲まれていたのです。今回は都営新宿線馬喰横山駅を出発して、銀座線三越前駅までのかつての掘割跡を、岡本先生の解説を聞きながら歩きます。下の地図(私の字も入っていますが・・・)の赤い線が今回歩いた道、青色で囲っている線がかつて掘割があった場所です。掘割は今はほぼ埋め立てられているため昔の面影はありませんが、そこかしこにかつての痕跡が残っていました。

浜町川跡と支流跡

まずは昭和26年に埋め立てられた浜町川跡にそって歩きます。今は建物と建物の間の細い道となっています。

道路が川の真ん中あたりだとすると、茶色のビルの幅がかつての川の岸までの距離になります。(進行方向の逆向きで撮ったものです)

右のビルの幅が川の反対側の岸までの距離です。この結構広い川幅だったのが、いまでは埋め立てられて細い路地になっています。(これは進行方向に向かって撮ったもの)

さらに細い道を抜けます。

久松児童公園を通り抜けます。

公園を抜けて少し先を左折すると「末廣神社」があります。このあたりは遊郭であった元吉原で、江戸時代はその氏神であったのが、明暦の大火で吉原が浅草に移転するとその跡地の四町(難波町・住吉町・高砂町・新泉町)の鎮守となります。社殿修復時に古い中啓(扇)が見つかったため、これにちなんで「末廣神社」と名付けられたそうです。

末廣神社の先の交差点に建つレトロな建物は歯科医院のようです。現在も営業しているのでしょうか。この建物の向かって右側が大門通りで、かつての元吉原の名残です。

大門通りにある抜け道のような路地。ここは明治21年に埋め立てられた浜町川支流跡でもあります。
 

人形町通りに出るとこのへんは「玄治店(げんやだな)」跡です。

三光稲荷神社と椙森神社

そしてしばらく歩くと「三光稲荷神社」への参道があります。

大阪の歌舞伎役者である二代目関三十郎が伏見より勧請したと伝わっています。近隣には歌舞伎小屋の中村座や市村座、人形浄瑠璃の小屋などがあり、江戸落語にも三光新道や三光神社が登場しています。社殿と鳥居は大正時代に建てられたもので、第二次世界大戦中の東京大空襲でも奇跡的に焼失しなかったものです。

 

次に行ったのは椙森(すぎのもり)神社。創建は平安時代にまで遡る由緒正しい神社ですが、社殿の屋根の色には少々びっくりです。江戸時代には新橋の烏森神社・神田の柳森神社とともに江戸三森と呼ばれて信仰を集めていました。

境内にある冨塚の碑は、この社で行われた富興行をしのんで建てられたものだそうです。今度は宝くじの当選祈願をしに来よう、と心に誓いました(^-^;

東堀留川の今昔と出世稲荷

おやつタイムは清寿軒の大判どらやき。栗最中が売り切れだったのが残念。

 

お店から少し行ったところにある「堀留児童公園」でちょっと休憩です。目の前のビルは日本橋保健センターです。見ごろの桜がきれいでした。ここはかつての東堀留川です。

下の写真は岡本先生の著書よりお借りしてきましたが、ちょうど上の写真とだいたい同じアングルの昭和23年(1948年)のものです。現在の公園部分が、かつて川であったのが良くわかります。

どらやきを食べて一息ついてから、堀留児童公園の横側にある、神社ののぼりが立っている道を入っていきます。のぼりが無ければ絶対分からないだろう、という場所にお稲荷さんがありました。

マンション1階の自転車置き場になっている通路が、神社の「参道」になります。 

「出世稲荷神社」は初代市川団十郎がこのお稲荷さんに毎日参拝して名をあげたことに由来しています。江戸で何度もあった大火でも焼失しなかった社殿が関東大震災で焼失したため新築した際に、椙森神社の古材を削り直して再利用したそうです。

奥にちょこんと鎮座する社殿。それでも神社の廻りは決して乱雑な感じは無く、毎日誰かが手入れをしているようです。なんとも変わった場所にはありますが、取り壊されることなく残っていることに妙な感動も覚えました。

福徳神社の今昔

児童公園の前の道を抜け、東堀留川跡から西堀留川跡へと異動します。

コレド室町2では「桜フェスティバル」が開催中で、なかなかの人出でした。

ビルとビルの谷間に鎮座する「福徳神社」。859~876年にはすでにあったといわれる長い歴史を持つ神社ですが、いろいろと開発の波に洗われてきたようです。

江戸時代は非常に賑わっていたのですが、天保の改革(1830~1843年)には神職などの転居が命じられて一度姿を消すことになります。その後、天保の改革の推進者である水野忠邦の失脚により、氏子たちが奉行所へ願書を出して川岸に再興されたのだとか。第二次大戦では焼失してその後再建されましたが、付近の開発に押されて一時期は居酒屋の中に祀られていたりもしました。そして、日本橋室町東地区再開発で今の場所に復興されたということです。

神社のすぐ目の前にある小さな広場のようなところに、再開発前に一時移転した時のお社がありました。

神社拝殿に向かって左側の出入口が、西堀留川(明治19年埋め立て)の堀留になります。

上の画像の通路をまっすぐ進むと「新浮世小路」があります。かつての浮世小路の名残です。このあたりでは荷揚げが行われたりして、非常に栄えていました。近くには落語でも有名な高級料亭「百川」もありました。

 

今回の講座はここが終着点です。

あと2回掘割跡を歩きます

掘割跡を歩く講座はあと2回予定されています。ご興味のある方はぜひ参加してみてください。「岡本哲志先生と歩く~」という講座は10年以上続いているので常連さんが多いですが、初めての人も違和感無く一緒に歩けます(^^)。私も昨年からの参加ですが、すっかりお気に入りの講座となっています。歩き終わった後は、先生を交えて有志で昼食(&飲み)に行くことも多いです。(取材や講演の裏話なども聞けたりします♪)

2回目 4/14(土)10:00~13:00頃「茅場町~築地」
3回目 5/19(土)10:00~13:00頃「新富町~銀座」

それでは!

「掘割跡を歩く」講座の元になっている本です。読んでから参加するとさらに興味倍増! 豊富な地図と昔と今の対比写真など、見ているだけでも面白いです。江戸東京の歴史散歩好きにぜひおすすめ♪
岡本先生とイラストレーターさんが日比谷・日本橋・銀座・丸の内エリアを歩き、意外な見どころや路地などをイラストとMAPで紹介しています(159~166ページ)。今回行った神社なども紹介されています(^^)


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