この秋の目玉第二弾
東京国立博物館で開催中の「京都 大報恩寺快慶・定慶のみほとけ」に行って来ました。国宝こそありませんが、寺外初公開のご本尊や同じく寺外初公開の快慶晩年の名品10体揃い踏み、それに加えて肥後定慶の六観音菩薩像という、実に見ごたえのある展覧会でした。
私の中では、「フェルメール展」「京都・大報恩寺」「日本の中世文書」がこの秋の3大目玉です(^^)
後期から六観音菩薩像の光背を取った形で展示したため、前期と後期の2回行きました。まだ会期がありますから、もしかしたらもう1回行くかもしれません。キャンパスメンバーズのおかげで、前売り券と同じ金額で見られるというのがうれしいところです。
キャンパスメンバーズについてはこちらの記事をどうぞ。
(特に断りの無い場合は画像はポストカードおよび図録からです)
快慶作十大弟子立像と釈迦如来坐像
大報恩寺は、鎌倉初期安貞元年(1227)に開創された古刹です。その本堂は創建以来の建物で、国宝指定されています。普段はご本尊「釈迦如来坐像」(重要文化財)は本堂の中に納められており、快慶作の十大弟子立像は霊宝殿に安置されているのですが、今回の展覧会では本来の形であった、本尊の周り十大弟子像が囲むという展示になっていました。
ご本尊の「釈迦如来坐像」は快慶の一番弟子であった行快が鎌倉時代(13世紀頃)に造像したものです。当時、法眼の位にあった行快の代表作ともいえます。くっきりした目鼻立ちとぱんと張った頬に行快の個性が感じられるでしょうか。
十大弟子立像は快慶最晩年の作といわれ、鎌倉時代1219年から2、3年後くらいまでの造像と想定されています。衣のあちこちに截金(きりかね 金銀の薄い箔を細長く切って貼り付けて文様などを作る技法)が残っていてとても綺麗です。下のポストカードの写真は厳かというよりは、なんだか不気味さを感じさせるのですが、実物は写実的でありながら端正で、その造形に思わず見入ってしまいます。それぞれの弟子の描き方も見事で、まさに快慶! です。
十大弟子のひとり、富楼那(ふるな)の衣に残る截金の文様。今でこそ色も剥げてしまっていますが、造像された当時の華麗な姿が想像できます。肉眼でも見えますが、単眼鏡だと細かい部分までよく見えるのでオススメです。
肥後定慶の六観音菩薩像
鎌倉時代には定慶という仏師が知られているだけで4人いたそうですが、肩書に「肥後別当」と記していたので肥後定慶と呼ばれています。その名前から分かる通り慶派仏師のひとりで、運慶次世代の実力派でした。髪や衣の柔らかな質感の描写などがその力量を感じさせます。
画像は左から十一面観音菩薩・准胝観音菩薩(または不空羂索観音)・如意輪観音菩薩。醍醐寺の如意輪観音はどこか退廃的美しさを持っていましたが、こちらの仏像はザ・正統派の美形でしょうか(^^) どれも鎌倉時代 1224年の作です。
撮影できる聖観音像
最近ではすっかりおなじみとなった撮影スポットは、肥後定慶の「聖観音菩薩立像」です。
まずは会期前半の光背がついた姿です。普通はこの状態で展示されているので見慣れた姿でもあります。
そしてこちらが後期の光背を外した展示。六観音菩薩像の全部が光背をはずしていて、普段見ることの無い背中が観察できます。外された光背は仏像の後ろに展示されています。
美しい仏像が写真に撮れるということで結構な人気でしたが、会期後半は人が多かったせいもあって、撮影マナーがいまいちだったような気がします。あくまでも鑑賞が優先だということは常に心掛けていたいものです。
それでは!