「温泉~江戸の湯めぐり」-国立公文書館

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まだまだ夜は冷え込みますが、こんな時は温泉に入って温まりたい(^^♪
昔から温泉は日本人に親しまれてきました。そんな温泉との関わりを史料をひも解いて紹介していくという展示が国立公文書館で行われています。題して「温泉~江戸の湯めぐり~」♨

展示はそれほど大きな場所ではありませんが、さすがに公文書館だけあって史料はたっぷり!
 

今回の展示に関係する温泉地です。現在でも有名どころの温泉名があちこちに出てきます。

名所案内にみる温泉風景

いい温泉は人にも紹介したいもの。江戸時代には、現在のガイドブックのような名所案内が多数刊行されます。たとえばこちらの「七湯集(しちとうしゅう)」文化8年(1811年)に成立した箱根温泉の案内書です。箱根の七つの湯治場(湯本、塔之沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯)の効能や名所旧跡などが紹介されています。カラーで描かれていて読みやすい体裁です。

こちらは龍神温泉(現在の和歌山県田辺市龍神村)の浴室と客舎の図ですが、老若男女がごちゃまぜになって湯につかっています(^^; この後にもこうした混浴の絵が出てきますが、当時はごく普通だったようです。

この美しい案内図は「摂津国有馬山勝景図(せっつのくにありまやましょうけいず)」で、現在も有名温泉で名高い有馬温泉の案内書です。画を描いた橘守国(通称、後素軒)は大阪で活躍した狩野派の絵師です。

ペリーの見た日本

「ペリー提督日本遠征記」の一部で、下田の公衆浴場の図です。龍神温泉の浴室の図でもありましたが、この頃は男女混浴が一般的だったのですね。アメリカ合衆国政府がペリーの監修のもと、日記やノート、公文書などに基づいて編集したものです。

温泉に行くにも許可がいる!?

温泉案内の他に、「湯治願」や温泉に行った著名人の紹介もありました。「湯治願」とは江戸時代に幕臣や大名や藩士が湯治に行く際に義務付けられていたものです。この制度は明治の初期頃まで引き継がれていました。

こちらは上野国伊勢崎藩の前藩主が幕府へ提出した湯治願が許可されたことのお礼状です。書状にずらずら書かれている宛先は当時の幕府老中たち。前藩主でも湯治に行くのは一苦労だったようですね。しかも、この湯治願は実際に温泉に行くのではなく、病気のため「汲湯(くみゆ)」を用いたいとの願いなのです。この「汲湯」とは、温泉に直接行けない場合に「温泉の湯」を取り寄せて湯治することです。お湯を運ぶのに幕府の許可が必要だったとは。

こちらは実際に有馬温泉にいった岩倉具視の湯治願です。持病の頭痛が悪化したので有馬に湯治に行ったのですが、3週間たっても改善しなくてさらに期限延長を申請したそうです。

豊臣秀次の手紙

古くは聖徳太子や欽明天皇、藤原道長も温泉に行った記録が残っていますが、こちらは豊臣秀次が熱海に湯治に行った際に、秀吉、北政所、淀殿にあてた書状の写しです。ちょうど淀殿に拾(後の秀頼)が誕生した時で、秀吉の実子誕生により微妙な立場になった秀頼ですが、3人それぞれに対しての心遣いを感じる内容になっています。

この手紙が書かれたのが1593年9月で、秀次が切腹したのが1595年7月。秀次の末路を知る我々はなんとも複雑な心境になります。

会期は今週土曜日までです。またまたこんな間際のご紹介で申し訳ありません。入場料は無料なので、お隣にある国立近代美術館に行ったついでにでもぜひ寄ってみてください! 長い温泉の歴史に浸れること請け合いです♨

こちらはオマケ(?)の温泉めぐりゲーム(笑) 展示を見に行くともらえます。

それでは!

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