【早春の熱海箱根の旅(その3)】元箱根の石仏・石塔群

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しつこく続いております、熱海箱根の旅3回目。前回までの記事はこちらでどうぞ!

のんびり綴っております)、熱海箱根の旅2回目です(のんびりすぎてごめんなさい (^_^;))。午後から函南にある「かんなみ仏の里美術館」に行ってきました。午前中に行...

箱根湯本に泊まった翌日、午前中は岡田美術館へ、そのあと元箱根の石仏・石塔群を観に行きました。岡田美術館は、ここは空港? というセキュリティは話のネタにはなりそうですが、セキュリティのお金をかけている分、人件費節約なのかスタッフがフロアにいないので、子供が走り回って展示ケースにぶつかりそうでハラハラしたり(親は展示を観るのに夢中で我関せず)、でっかい声でしゃべるおじさん達とおばさん達に辟易としたりであまり楽しめなかったので割愛します。熱海のMOA美術館も団体さんが結構おしゃべりしていましたが、思いのほか気にならなかったんですよね。岡田美術館の展示室内はかなり音が響くので、必要以上にうるさく感じたのかもしれません。

五輪塔(俗称 曾我兄弟・虎御前の墓)

岡田美術館のすぐ近くのバス停小涌園からバスに乗って10分ほどで「曽我兄弟の墓」という停留所に着きます。このあたり一帯には鎌倉時代後期から室町時代前期にかけてつくられた石仏や石塔が点在しています。

黄色い線で囲ったところが今回観たところです。本当はもう少し前のバス停で降りて全部観たかったのですが、前夜に雪が降ったこともあって、あまり無理して歩くのはやめようと思い、バス停1つ分の範囲にしました。

バスは満員でしたが、このバス停で降りたのは私一人でした。停留所の前はこんな感じに少々さびれたような待合所があります。左手側の道を入っていくと3基の五輪塔があります。
 

右端の1基は「虎御前の墓」と呼ばれ、左側の2基は「曽我兄弟の墓」とよばれています(本当のお墓では無く、いわゆる俗称です)。そもそも五輪塔とは何かというとwikiによれば以下の通り。

一説に五輪塔の形はインドが発祥といわれ、本来舎利(遺骨)を入れる容器として使われていたといわれるが、インドや中国、朝鮮に遺物は存在しない。日本では平安時代末期から供養塔、供養墓として多く見られるようになる。このため現在では経典の記述に基づき日本で考案されたものとの考えが有力である。

教理の上では、方形の地輪、円形の水輪、三角の火輪、半月型の風輪、団形の空輪からなり、仏教で言う地水火風空の五大を表すものとする。石造では平安後期以来日本石塔の主流として流行した。五輪塔の形式は、石造では、下から、地輪は方形(六面体)、水輪は球形、火輪は宝形(ほうぎょう)屋根型、風輪は半球形、空輪は宝珠型によって表される。密教系の塔で、各輪四方に四門の梵字を表したものが多い。しかし早くから宗派を超えて用いられた。(Wikipediaより抜粋)

石像美術の一分野としても重要なものです。虎御前の墓には永仁三年(1295年)に地蔵講の結縁衆(仏法に縁を結ぶ人たち)によって建てられたという銘文があります。

「曽我兄弟の墓」には合掌地蔵が彫られていて、ここからも地蔵信仰があったことがわかります。この3基は昭和28年に国の重要文化財に指定されています。

元箱根磨崖仏(俗称 二十五菩薩)

永年元年(1293年)から順次彫られた磨崖仏群で、国道1号線をはさんで東側に3体、西側に23体あります。こちらも昭和49年に重要文化財に指定されました。

東側に彫られた3体。先ほどの五輪塔とはバス停をはさんで反対側にあります。実は意外に仏が見つかりにくく、一度、国道をはさんで反対側から観たらよくわかりました。この国道を通る車はみんなスピードを出しているので横断する時は要注意です。

そして東側の岩の横には反対側に行くための地下通路があります。雪でちょっと滑りやすくなっていました。
 

こちらが西側の磨崖仏群。そのほとんどが地蔵菩薩です。大きさはまちまちですが、その造形はなかなかに精巧です。

宝篋印塔(俗称 多田満仲の墓)と磨崖仏(俗称 応長地蔵)

磨崖仏群の先を行くと次に見えてくるのは「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」です。

永仁四年(1296年)に大和国の石工「大蔵安氏」により造られたと考えられています。銘のある塔としては関東最古のものだとか。昭和36年に重要文化財に指定されています。

宝篋印塔とは

宝篋印経にある陀羅尼を書いて納めた塔。日本ではふつう石塔婆の形式の名称とし、方形の石を、下から基壇・基礎・塔身・笠・相輪と積み上げ、笠の四隅に飾りの突起があるものをいう。のちには供養塔・墓碑塔として建てられた。(デジタル大辞泉より)

そしてその先にある小さな磨崖仏は、応長元年(1311年)の銘をもつことから「応長地蔵」と呼ばれています。

よく見ると3体彫られているんですね。小さいので見過ごしてしまいそうです。

応長地蔵のはす向かいあたりにある宝篋印塔の残欠です。「八尾比丘尼の墓」と名付けられています。

そしてそのすぐそばには、反対側の「六道地蔵」へ行くための通路があります。

元箱根磨崖仏(俗称 六道地蔵)

通路から出ると見えてくる地蔵堂。この中に六道地蔵とよばれる巨大な磨崖仏の地蔵菩薩座像が安置されています。いや、安置されているというよりは、岩に掘った磨崖仏に覆屋をつけたというのが正しいのかな。

蓮華座を除く像高は3.15メートルで、磨崖仏の地蔵菩薩座像としては国内最大級です。銘文によれば正安二年(1300年)に完成したとのこと。創建当時からこの覆屋があったようですが、何度も焼失や破損を繰り返しています。現在の覆屋は平成の修復で礎石が見つかった室町時代のものを復元しているのだとか。

他の磨崖仏と同様に、地蔵菩薩は岩の表面に彫刻されているのですが、丸彫りの石仏かと思うほど立体感があります。昭和49年に重要文化財に指定されています。

横を見ると、覆屋が岩にめり込むように造られているのがわかります。

遠目にも目立つ地蔵堂。国道1号線沿いなのでバスの窓からも見えます。

石仏群と歴史館

この歴史館は無料案内所兼休憩所といったところです。エアコンは入っていませんが、トイレや休憩できるスペース、そして元箱根の石仏に関する歴史の展示など、なかなかに充実していました。歴史館のすぐ目の前にバス停があるのも便利です。

 

歴史館から見た精進池。イノシシが出るとかで、池近くには行けなかったのが残念。もっと緑の綺麗な時期に来てみたいですね。

この後は箱根の関所跡に行きました。
熱海箱根の旅行記、もう少しだけお付き合いください。

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